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失われた寛容:『オリエント世界はなぜ崩壊したか』
世界的にイスラムへの恐怖が広がっているが、本書はあえてイスラム以前のオリエントの歴史から説き起こ... 世界的にイスラムへの恐怖が広がっているが、本書はあえてイスラム以前のオリエントの歴史から説き起こす。古代オリエントで栄えたササン朝ペルシャは、多様な文化がゆるやかに共存する寛容の国だったが、イスラムは異教徒を許さない不寛容と軍事力でペルシャを滅ぼし、アラブを統合した。 それでもオスマン帝国は多くの部族の共存を許していたが、18世紀以降、西欧やロシアが帝国を蚕食し始め、第1次世界大戦で分割する。このとき彼らが中東を分割したサイクス=ピコ協定が、今も中東の紛争の原因になっている。そこに西洋諸国の持ち込んだナショナリズムが、イスラムになかった国境をつくって、問題をさらに悪化させた。 西洋でも、寛容が定着したのは長い宗教戦争の後だった。表現の自由とは何よりも信教の自由であり、政教分離は異教徒を殺さないという寛容のルールだった。しかしイスラムでは律法の正統性は神によって保証されているので、政教分離も
2016/07/02 リンク