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『戦後一度の指揮権発動は検察の策謀だった』
government of the people, by the people, for the people 検察の「正義」が常に正しいとは限らない。... government of the people, by the people, for the people 検察の「正義」が常に正しいとは限らない。人間のやることだから、判断を間違うこともある。 昭和初期の世界恐慌がきっかけとなった社会不安、政治不信は現在と共通する。検察は政治家を標的に次々と疑獄事件の摘発を進め、行き着いた先が、昭和9年の帝人事件だった。 時事新報の記事で浮上した帝人株をめぐる贈収賄疑惑。検察は政治家や官僚16人を起訴し、斎藤実内閣を総辞職に追い込んだ。 ところが、裁判では全員が無罪となり、倒閣目的のでっち上げであった疑いが濃くなった。 「検察ファッショ」といわれたこの強引な捜査の黒幕は、昭和14年に総理大臣となった平沼騏一郎だ。 平沼は明治43年の大逆事件で、検事として社会主義者、幸徳秋水らに死刑を求刑、「暗黒裁判」と批判を浴びた人物だ。戦前、日本の司法の主役は検察
2010/01/31 リンク