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現実と虚構に差がないと考えるならば現実を選択しなければならない理由はどこにあるのか? | 旧館:物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
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現実と虚構に差がないと考えるならば現実を選択しなければならない理由はどこにあるのか? | 旧館:物語... 現実と虚構に差がないと考えるならば現実を選択しなければならない理由はどこにあるのか? | 旧館:物語三昧~できればより深く物語を楽しむために ■歴史の連続性 なるほど。すごく判り易い。「至高の現実」という単語は今まで使ったことなかったんですが、利用させていただきます。 そして、至高の現実と多元的(相対的)現実の差異はなんなのかということを考えたとき、私は最近「歴史の連続性」という言葉を使っています。 誰かから受け継ぎ、また誰かへと引き渡す。営々と脈づく歴史の連続性の中にいるという実感。それこそが「至高の現実」と呼ばれるものなんじゃないかな、と。逃避やおままごとは事後と事前が断絶している。その点をもって、至高の現実ではないと言い切れません、かね。 ところで私は、本田透さんのファンだったりするんですけれどもw。彼自身は実は外界へ向けて開けた思考をもってるんですよね。ただ、本人の信念として”女性