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アウシュヴィッツは終わらない。
アウシュヴィッツはとおいむかしのこととなった。 それがいったいどのようなものだったのか、今の私たち... アウシュヴィッツはとおいむかしのこととなった。 それがいったいどのようなものだったのか、今の私たちには想像することもむずかしい。 アウシュヴィッツを知らなくても私たちは生きてゆけるだろう。私たちは自由だ。 だが、事実はゆるがない。 アウシュヴィッツが実在したこと。 そこで命を落とした者たちは私たちとおなじ人間だったこと。 私たちとおなじようにさまざまな人生と、心があったこと。 その数は180万にのぼること。 180万の心があったということ。 そして、その心をなんのためらいもなく消し去ったのもまた、私たちとおなじ心を持った人間だったということ。 そのときそこには人の心をゆがませる強大な力がはたらいていたということ。 私たちは自由だ。アウシュヴィッツを忘れ去ることができるほど自由だ。 それほどの力を私たちは手にした。 でも、その自由が血塗られた歴史のうえにあるとしたらどうだろう。 過去を忘れて