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[今日知った人物]乙骨太郎乙
1842年生まれ。父親は幕臣で儒学者。 太郎乙も漢語・英語・蘭語を使えたので、幕府の洋学校教授や外国奉... 1842年生まれ。父親は幕臣で儒学者。 太郎乙も漢語・英語・蘭語を使えたので、幕府の洋学校教授や外国奉行などを歴任した。 維新後には徳川家について静岡へ移住した。 1869年(明治2年)、イギリスのヴィクトリア女王の次男であるエディンバラ公アルフレッドの来日が決まったとき、 各藩から英語が出来る人物が呼ばれて接待係に任じられたが、静岡藩からは太郎乙が選ばれた。 その折、薩摩藩の軍楽隊を指導するために来日していた軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンから、 「歓迎の式典では国歌を流さなければならないが日本の国歌は何か」との問い合わせがあった。 接待係たちは国歌などというものを聞いたことがなかったので、どうすべきか政府上層部に問い合わせたところ、 「その程度のことでいちいち問い合わせてくるな、そういう問題を何とかするためにおまえらを呼んだんだろ」 と怒られてしまったので、接待係たちは困り果てて
2021/11/05 リンク