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差別する側の、「逆・心のノート」「逆・にんげん」を読んでみたい
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差別する側の、「逆・心のノート」「逆・にんげん」を読んでみたい
「原爆被曝者・何世だから、「被差別部落」出身だから、朝鮮人だから、ハーフだから、このような差別に... 「原爆被曝者・何世だから、「被差別部落」出身だから、朝鮮人だから、ハーフだから、このような差別に会った。社会の無理解や理不尽さ。悔しかった、悲しかった。あるいはこうして対応した。差別は許されない。」 …という文章はたくさんある。「道徳」の副読本であったり、人権授業で使われる読み物(「心のノート」とか)であったり。もっとわかる人向け(多分関西オンリー?)にいえば、「にんげん」みたいな読本などに載っている読み物。 ところで私は、この逆の立場の、差別を行ったとされる人々の気持ち、云わば「逆・にんげん」を読んでみたい。 差別や理不尽さというのはすべて人間が生み出しているものだが、果して(近)現代の人間の中で、人権と、差別との「妥協」はどのように行われているのだろうか。 一体どのようにして、差別の正当化と、その追認が行われているのだろうか。知ってみたい。 それももちろん何か差別の悪を糾弾するとか反面