エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
筑紫潟の風
(久留米市京町の梅林寺に残る山田正之助の墓石) 先日、梅林寺境内で偶然見かけた山田正之助の墓石。 ... (久留米市京町の梅林寺に残る山田正之助の墓石) 先日、梅林寺境内で偶然見かけた山田正之助の墓石。 彼は死後、横浜市外程ヶ谷墓地に埋葬され、 のち東京芝増上寺の末寺花獄院に移送されたといわれています(『久留米人物誌』)。 まさか地元久留米にも墓石があろうとは思っても見なかったので、 大変驚いた次第です(単なる勉強不足かもしれません)。 山田正之助は、嘉永3年(1850)、 久留米藩二百石馬廻役だった山田忠兵衛の長男として、 京隈小松原(現在の久留米市京町)に生まれました。 元治元年(1864)に小倉戦争に出征、のち小性役となり、 慶応3年(1867)には、藩命により坂本金三郎とともに、 江戸の勝海舟塾と海軍繰練所で教えを受けています。 因みに坂本金三郎は、山田家の近所、馬廻組二百石の家に生まれ、 その次男は文化勲章受章者の坂本繁二郎画伯です。 先頃この坂本繁二郎生家が整備公開されましたが、