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大竹伸朗 後編「アート界から遠く離れ、日常のなかでアートを作り続けること」 | ブログ | ベネッセアートサイト直島
宇和島へ 日本がバブル景気に沸いていた1988年、大竹伸朗は、愛媛県宇和島市にある義父が所有する山奥の... 宇和島へ 日本がバブル景気に沸いていた1988年、大竹伸朗は、愛媛県宇和島市にある義父が所有する山奥の資材置き場をアトリエにして制作するようになる。立体を作りたいと思っていた大竹にとって、東京の仕事場が手狭に感じられたことが理由だが、宇和島では近くの造船所から廃船を譲り受けるなど、拾ってくるものが一気に大きくなっていった。東京で出来ないことをやらないと、ここでやる意味がないという思いもあったそうだが、この環境の変化は、日常のなかにアートを見出す方向へと向かわせるとともに、都会でしか意味を持たない現代アートの無力さを感じ、美術とは何なのかを自問自答する契機となる。 東京のアート界から遠く離れ、アートと全く関係のない環境で、誰からも興味をもってもらえなくとも、また、作る理由がなくとも、作り続けることが出来るか、自分を試されているように感じる一方で、このまま世界からフェードアウトしていくかもしれ
2022/10/26 リンク