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福山の「とんど」について
1985-01-20T08:46:12+09:001985年1月20日 福山の「とんど」について2019-07-10T22:26:30+09:00管理人 近... 1985-01-20T08:46:12+09:001985年1月20日 福山の「とんど」について2019-07-10T22:26:30+09:00管理人 近世近代史 「備陽史探訪:23号」より 加藤 惣一 福山市のとんど祭りの歴史を探る福山の「とんど」は、もともと近郊の正月行事として広く行なわれていた「とんど」は(「さぎちょう」の異名)が、元和3年(1613)元和5年(1619)水野勝成の福山築城に伴って整備されたのに始まるとされている。以来明治4年(1871)の廃藩置縣までの藩政時代250年間、正月ごとに福山30町鞆6町の「とんど」36本がきらびやかに繰り出され、囃音頭とともに町内を巡行して、最後に、それが華やかにはやし焼かれたのを想像すると、たしかに城下町福山の正月の偉観であったにちがいない。 その間、元禄11年(1698)水野家退散、元禄13年(1700)松平家入城、宝永7年(171
2019/02/11 リンク