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東北紀行~瀋陽編5 - 鞦韆院落
鉄西区に行ってきた。 ここは満州時代に日本が造った工業地区だ。 大規模な重工業の工場がたくさん造ら... 鉄西区に行ってきた。 ここは満州時代に日本が造った工業地区だ。 大規模な重工業の工場がたくさん造られ、多くの日本人も住んでいた。 あの赤塚不二夫も、終戦時には鉄西区に住んでいたそうだ。 戦後は中国に接収され、国営工場として操業していた。 中国でも有数の工業地区として多くの従業員を養ってきた所である。 朱鎔基の時代から進められた国営企業の改革は鉄西区にも大きな影響をもたらした。 採算の合わない工場は次々と閉鎖され、30万人いた労働者のうち、レイオフされた人数は13万にものぼった。 そして、工場の解体と宅地化が進められた。 ドキュメンタリー映画『鉄西区』はこういった背景のもとに撮られたものである。 現在の鉄西区では工場の多くが姿を消し、変わりに高層マンションが立ち並んでいる。 大きなショッピングセンターもあるし、自動車ショールームが軒を連ね、ジャガーなどの高級車が売られてもいる。 映画で見た場
2009/02/14 リンク