エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
意識の不思議 - 犯罪被害者の法哲学
犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考え... 犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。 人間の意識というものは不思議である。科学、宗教、哲学、どの分野にとっても解決不可能な謎である。「意識とは何か」と問うためには、意識がなければならない。「自分には意識がある」と気付くためには、自分には意識がなければならない。その意味で、「我思う、ゆえに我在り」と言ったのはデカルトではない。自分であり、すべての自我である。 意識は常に自分とともに存在し、一時も自分から離れることがない。朝起きても、他人の意識と入れ替わっていることはない。しかしまあ、何でよりによって、この意識が自分の意識なのか。人間は誰しもこの謎を抱えている。世界には65億人もの人間がいるのに、なぜか私の自我意識が存在するのは、「この私」である。永井均氏の表現を借りれば、<私>である。 私以外の人間には、「こ