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勇気を中庸ととらえたアリストテレス - 「老いて死なぬは、悪なり」*といいますから、そろそろ逝かねばならないのですが・・・
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勇気を中庸ととらえたアリストテレス - 「老いて死なぬは、悪なり」*といいますから、そろそろ逝かねばならないのですが・・・
1-6.勇気を中庸ととらえたアリストテレス 闘う者、勇士の徳である「勇気」は、大胆・果敢さが極大で、恐... 1-6.勇気を中庸ととらえたアリストテレス 闘う者、勇士の徳である「勇気」は、大胆・果敢さが極大で、恐怖が極小・ゼロになることをもって、最大の勇気となるように一見思える。だが、アリストテレスは、これをほかの節制などの徳と同様、「中庸」に求めた。ほどほどの大胆、ほどほどには恐怖をということである。 勇気の大胆さ・果敢さが極端になって、無謀・暴勇になると、見境のないことになって、激怒がそうであるが、破壊してはならないものまでも攻撃して破壊してしまう。徳となる勇気には、正確に攻撃できる理性的冷静さがいる。自分の足を刺す蚊をつぶすのにハンマーを振り上げるような愚かなことをしてはならない。怒りの感情などにまかせて無謀に攻撃するのではなく、ほどほどに中庸にということである。他方、大胆さを欠いて、ぐずぐずしたのでは、攻撃はならない。優柔不断・無気力・弱腰では、たたかれ後退し打撃を受けるだけとなり、たたき