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遺伝的多様性に関する私見7 交雑問題2 - ならなしとり
外来生物問題を主に扱います。ときどきその他のことも。このブログでは基本的に名無しさんは相手にしま... 外来生物問題を主に扱います。ときどきその他のことも。このブログでは基本的に名無しさんは相手にしませんのであしからず。 さて、前回の書いたことを踏まえて遺伝子撹乱はどうして問題視されるのか整理していきます。その前に前回書いていなかった重要な前提について書きましょう。それは“生物多様性は歴史的遺産としての側面を持つ”です。なぜこういうことが言えるのかというと、生物多様性というのは長い年月をかけて出来ているからです。たとえばヒトとチンパンジーが種分化してから500~700万年経つとされています。けしてヒトとチンパンジーがある日突然はっきりと分かれたわけではありません。気の遠くなるほど長い年月をかけて少しずつ遺伝的な違いが積み重なった結果、現在のヒトとチンパンジーがあるわけです。ここから言えることは、生物は個々に固有の歴史を持っているということです。 実際、古墳や貝塚から当時の生活の手掛かりが得ら
2010/04/13 リンク