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アドラー心理学と「怒り」 - いつの日か霧が晴れて
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アドラー心理学と「怒り」 - いつの日か霧が晴れて
アドラー心理学の衝撃 前回の記事(「怒り」の探求 - いつの日か霧が晴れて )で書いたように、怒りが自... アドラー心理学の衝撃 前回の記事(「怒り」の探求 - いつの日か霧が晴れて )で書いたように、怒りが自分の人生に与える影響について悩むようになっていた私は、岸見一郎氏の著作を通じたアドラー心理学との出会いによって、大きなヒントを得ることになった。そこで、それが具体的にどんなヒントだったのかをご紹介したいと思う。 「怒り」は出し入れできる道具である アドラー心理学における「怒り」を理解する上で、基本的な前提となるのは「怒りは出し入れできる道具である」という考え方だ。岸見氏の著作では、このことに関連して、次のような情報が繰り返し示される。 激しく怒っている最中の人は、無関係の電話がかかってくれば落ち着いた声色で対応をして、電話が終ったらまた怒りだす。怒りが出し入れできる道具でないのなら、そんなことは出来ないはずだ。 悲しみ、失望といった感情が1次感情であるとすれば、怒りはそれらをもとに発生する