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ソ連軍を迎え撃つこと : IT翻訳者Blog
終戦記念日のゴタゴタに便乗して、第二次大戦のことについて書こうと思う。「平和の大切さ」みたいなの... 終戦記念日のゴタゴタに便乗して、第二次大戦のことについて書こうと思う。「平和の大切さ」みたいなのを語るのも気恥ずかしいので、祖父の経験について事実だけを少し記述する。僕が小学生の頃(20 年以上前)に聞いた話なので、記憶も薄れかけているが、ブログにでも記しておかないと永遠に消えてしまうだろうから、思い出せる範囲で書いてみる。 祖父は徴兵され、終戦間際は満州にいた。計算すると、当時は恐らく 20〜22 歳だったと思う。確か「第 800 大隊」と言っていた。調べてみると、確かにそのような部隊があったらしい(参考)。第 4 軍直轄の独立混成第 136 旅団に属していて、終戦時には「嫩江」という場所にいたとのことだ(Google Maps)。 ご存知のとおり、終戦間際にソ連は日本に宣戦布告(1945 年 8 月 8 日)し、満州に侵攻した。戦力で見るとソ連軍の方が圧倒的に上で、日本軍は後退するしか