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内藤湖南の『支那論』を読む(その29) : 太田述正ブログ移転→ www.ohtan.net
太田述正コラム#7756(2015.6.29) <内藤湖南の『支那論』を読む(その29)>(2015.10.14公開) 「<... 太田述正コラム#7756(2015.6.29) <内藤湖南の『支那論』を読む(その29)>(2015.10.14公開) 「<こうして、>近来の支那の文化は学問、芸術がその主体になって来たのであるが、その中で学問は清朝の「樸学」<(注44)>が出て来たのが時代を代表する特種のものである。 (注44)=考証学。「清代に入って流行した学問であり、諸事の根拠を明示して論証する学問的態度のことを、こう呼んでいる。宋学よりモンゴル・元を経て、明学に至る学問は、自分自身の見解に基づいて経書を解釈する、「性理」の学として発達した(「宋明理学」)。それに対して、経学・史学を研究し、その拠り所を古典に求めたのが、考証学の起こりである。また、漢学・・・とも呼ぶ。明末清初の時期の黄宗羲や顧炎武が、考証学の先駆的存在である。黄宗羲の方は、歴史や暦学の方面に精通しており、顧炎武は、経学・史学や文字学に秀で、厳格な考証
2015/10/14 リンク