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両親は「好きにしなさい」と言ってくれたが、高校時代の夢を追いかけなくて本当によかった
小さなころから文化系一筋の地味なわたしは、ゲームや音楽や小説や映画が大好きで、とにかく学校が終わ... 小さなころから文化系一筋の地味なわたしは、ゲームや音楽や小説や映画が大好きで、とにかく学校が終わればすぐ家に帰る子どもだった。 中学生のころ、母に強制的に入らされた運動部を半年ほどで辞めた。想像に易いが、帰宅部の中学生にロクな奴はほぼいない。 わたしはただひとり図書館に通いつめ、小説をよく読むようになった。そしてその小説が映画化されていることを知ると、帰りにツタヤに寄ってDVDを借りて家で観る。そんな思春期だった。 いつしか映画監督を志していたわたしに決断のときが訪れたのは、高校3年生の春。17歳だった。 「日本映画大学」という映画の単科大学が次の春から開校するらしかった。前身は三池崇史監督やバカリズムさんを輩出した日本映画学校だ。 そのニュースは当時、わたしにとってまたとないチャンスのように思えた。父と母は反対もせず、「お前の行きたいところへ行け」と話す。 高校はそもそも進学校でなかった
2016/08/31 リンク