エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
あさくまは昭和の名古屋の子どもにとって憧れの外食だった
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
あさくまは昭和の名古屋の子どもにとって憧れの外食だった
ステーキのあさくまのステータス ステーキのあさくまの創業者である、近藤誠司氏の訃報を新聞で知り、つ... ステーキのあさくまのステータス ステーキのあさくまの創業者である、近藤誠司氏の訃報を新聞で知り、ついこの間までテレビに登場していた姿を目にしていただけに驚きとともに、あさくまへの感慨がこみあがってきたので書き記すことにします。 今では、家族でファミリーレストランなどに外食というのはそれほど珍しいことではなくなりましたし、価格帯に応じてジャンルに応じて様々なチェーン店が多彩に存在しているので、予算や雰囲気に応じて選択して訪れることができます。 ところが、これが30年ほど前は全く状況が違っていました。そのなかで、ステーキのあさくまは特にこの名古屋周辺地域において、特別な存在でした。 特別な外食 ステーキのあさくまが、郊外型ステーキ店として日進町(現・日進市)赤池スタートしたのが1962(S37)年。日本初のファミリーレストランといわれている、すかいらーくが1号店を出店したのが1970(S45)