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テプフェールと連続コマによる自動化の快楽 二つの発表のメモ補足:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ
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テプフェールと連続コマによる自動化の快楽 二つの発表のメモ補足 森田先生、鈴木先生の発表で触発され... テプフェールと連続コマによる自動化の快楽 二つの発表のメモ補足 森田先生、鈴木先生の発表で触発され連想した課題として、描く者の実感からやってくる「自動化の快楽」がある。連続するコマの中で、制作者には「動く」「動かす」体験から表現が自動化してゆく快楽が生まれる。テプフェールにとりわけ感じるのはそれである。ドレやカムの似た形式のものを見ると、そこに制約をかけようとしているようにも感じるが、一方で彼らも、同様の快楽を持っている感触もある。絵を「止める」欲望と、つなげて走る「動く」快楽は同時に並走する。それを使い分けることで物語の強弱、速度の管理・演出が生じる。なので、両者の違いをあまり拡大して理解しないほうがいいのかもしれない。 ただ絵画的な「止め」の欲望は、確かにテプフェールでは他と比較しても振り切られている。その理由として、彼が自身の絵の文学をあくまで「遊び」や「趣味」の範囲で、自らで制御し