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思い出すこと 柴崎友香|好書好日
平成最後の夏だから、という言い方をにわかに耳にするようになった。聞く度に、そんなに気にかけるもん... 平成最後の夏だから、という言い方をにわかに耳にするようになった。聞く度に、そんなに気にかけるもんかなと思う。挨拶(あいさつ)に過ぎないかもしれないが、このところ文化的社会的なことでも「平成が終わる」まとめ的な言説も聞かれる。 昭和が終わったとき、わたしは中学三年、十五歳だった。少し前から報道は続いていたが、その日から突然、テレビはすべての番組が別のものになり、「自粛」というはっきりしない基準によっていろんな行事が中止になった。世の中が唐突にあまりに変わったので、わたしは驚いたし戸惑った。今まで自分が普通だと思って生活してきた世界は、「普通ということになっている」世界で、暗黙の了解でできた映画のセットみたいなものじゃないかと感じてしまった。 そのあと徐々に、いつのまにか「普通の世界ということになっている」生活に戻っていた。しかしわたしには、その日から「日常」と呼ばれる感覚はなくなった。それは