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織田信長、豊臣秀吉に先んじて、京と畿内に覇を唱えた者がいた…戦国最初の「天下人」は誰なのか? | 文春オンライン
『三好一族――戦国最初の「天下人」』(天野忠幸 著)中公新書 戦国時代、「天下人」と言えば織田信長、... 『三好一族――戦国最初の「天下人」』(天野忠幸 著)中公新書 戦国時代、「天下人」と言えば織田信長、豊臣秀吉が浮かぶ。だが、彼らに先んじて京と畿内に覇を唱えた者がいた!『三好一族――戦国最初の「天下人」』を上梓した天野忠幸さんは力説する。 「応仁の乱から、織田信長の上洛までの約一世紀、畿内の情勢はほとんど知られていません。当時の首都圏であるにも関わらず、です。関西人として許せません(笑)。理由は簡単で、多数の人物が昨日は味方、今日は敵と入り乱れるため分かりづらい。しかし、実はこの百年間、三好一族は中央政局に関わり続けました。天皇や将軍をはじめ、農民、商工業者、宗教勢力、さらには倭寇(わこう)や明、スペイン、ポルトガルなどとも関わりがあったのはこの一族だけ。彼らを補助線とすれば戦国の日本が見えてくるんです」 そもそも争いの元凶は、室町幕府十代将軍足利義稙(あしかがよしたね)と十一代将軍義澄(
2021/12/25 リンク