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この映画が公開されたときは、昭和29年(1954年)。 当時はまだ終戦から十年も経っておらず、戦争の傷痕... この映画が公開されたときは、昭和29年(1954年)。 当時はまだ終戦から十年も経っておらず、戦争の傷痕がまだまだ生々しい時代でした。 ゴジラ上陸前に電車でOLが、「戦争で生き残ったのに、怪獣で死ぬのはいやよ」とぼやいています。 芹沢がひどく嫌がっていたオキシジェン・デストロイヤーの使用を、ラジオを聴いて決断するのも、東京大空襲の悲惨さを思い出したからです。 要するに、この母子の夫(父)は戦争で出征して戦死した、遺族なんでしょう。 もうだめだと思った母親は、子供に「お父ちゃんのところに行くのよ」と言っています。 「ゴジラ」初公開時の各新聞のレヴューも、非常に感情的なものでした。 「戦争を思い出すからいや」「もう戦争みたいな悲惨さを見たくない」と、今から見ると違和感があるほど、拒否反応も大きかったのです。 逆に言えば、本多猪四郎監督のやたらリアルな群衆描写の勝利ともいえますが。
2023/12/06 リンク