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第30回―双六から見えてくる東京小学校事情 (8) | モノが語る明治教育維新(唐澤 るり子) | 三省堂 ことばのコラム
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第30回―双六から見えてくる東京小学校事情 (8) | モノが語る明治教育維新(唐澤 るり子) | 三省堂 ことばのコラム
双六に描かれた通学風景を細かく見ていくと、驚いたことに筆記用具の石盤をむき出しのまま持ち運ぶ子ど... 双六に描かれた通学風景を細かく見ていくと、驚いたことに筆記用具の石盤をむき出しのまま持ち運ぶ子どもの姿がありました! 明治10年築地1丁目(現・中央区築地)に開校した「文海学校」のケピ帽(第29回をご参照ください)をかぶった男の子の手もとを見てください。周りを縁取りされた四角の黒い物体は、石盤とみて間違いないでしょう。 (写真はクリックで拡大) そしてもう一校、明治8年、本所元町(現・墨田区東両国)に開校した「江東学校」でも、和装でいながら靴をはいている右の男の子が、石盤を何にも包まずに腕に抱え持っています。 (写真はクリックで拡大) 石盤は第21回でご紹介したように、国民に近代的教育を授けるうえでなくてはならないものでした。子どもたちが他は何も持たなくても石盤だけは持参する姿に、当時の学校でいかに重要な存在だったか、再認識させられる思いです。そして、「江東学校」のもう一人の男子が頭上にの