エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
安田大サーカス・団長安田「阪神・淡路大震災で、親友がいる崩壊したビルに声をかけ続けて。友を亡くして、僕は芸人になった」 あの日のことを伝えていく覚悟|芸能|婦人公論.jp
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
安田大サーカス・団長安田「阪神・淡路大震災で、親友がいる崩壊したビルに声をかけ続けて。友を亡くして、僕は芸人になった」 あの日のことを伝えていく覚悟|芸能|婦人公論.jp
『婦人公論』8月号(7月15日発売)では、「豪雨、地震、台風……今すぐ見直すわが家の防災」という特集を... 『婦人公論』8月号(7月15日発売)では、「豪雨、地震、台風……今すぐ見直すわが家の防災」という特集を組み、自然災害への備えについて特集しました。そのなかから、選りすぐりの記事を配信します。 ***** いつもダブルピースで笑顔を届ける安田大サーカスの団長安田さん。20歳のときに阪神・淡路大震災で被災し、親友を亡くしました。芸能界に入ってからも、当時の映像は見られず、経験を語ることもできなかったと言います(構成:内山靖子 撮影:本社・武田裕介) 成人式の2日後に街は一変 1995年1月17日の早朝、阪神・淡路大震災が起きたとき、僕は20歳。まだお笑い芸人ではなく、兵庫県西宮市にある実家で、両親と3人で暮らしていました。 寝ていると、「グォー、ドンドンドン!」と、下から何かが突き上げてくるような感覚があって、いきなり自分の体がベッドの上で飛び跳ねた。その瞬間、ガラスがパリンパリンと割れる音も