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五・一五事件で暗殺された、犬養毅の「最期の言葉」に込められた「重大な意味」(保阪 正康)
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五・一五事件で暗殺された、犬養毅の「最期の言葉」に込められた「重大な意味」(保阪 正康)
暗殺が歴史を動かした——。 血盟団事件、五・一五事件、神兵隊事件、死なう団事件、そして二・二六事件……... 暗殺が歴史を動かした——。 血盟団事件、五・一五事件、神兵隊事件、死なう団事件、そして二・二六事件……。 暴力の連鎖が生んだ悲劇を繰り返さないために、「暗黒の歴史」から何を学ぶべきか。 『テロルの昭和史』は、昭和史研究の第一人者による警世の書である。 ※本記事は保阪正康『テロルの昭和史』から抜粋・編集したものです。 血盟団事件の「わずか2ヵ月後」の事件 血盟団事件は、昭和7(1932)年2月9日の小沼正による井上準之助前蔵相の暗殺、3月5日の菱沼五郎による団琢磨(三井財閥総帥)の暗殺の二件であり、司直の手が入り、テロ行為はひとまず止んだ。 いわゆる血盟団と評されたテロ団体に所属する14人は逮捕され、裁判にかけられることになった。この裁判の判決言い渡しは、昭和9(1934)年11月22日であったが、裁判が続いている折に、もう一つ別のテロというべきか、クーデターの一環というべきか、新たな事件が