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「日航ジャンボ機墜落」のさいに見事な救難指揮をとった「上野村村長」が語った「行政の対応のずさんさ」(神立尚紀) @moneygendai
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「日航ジャンボ機墜落」のさいに見事な救難指揮をとった「上野村村長」が語った「行政の対応のずさんさ」(神立尚紀) @moneygendai
私の手元に、旧日本海軍のいくつかの戦友会から託された資料がある。「戦友会」といってもいろいろあっ... 私の手元に、旧日本海軍のいくつかの戦友会から託された資料がある。「戦友会」といってもいろいろあって、親睦が主目的の集い、戦没者慰霊を主とする会もあれば、毎回、講師を決めて、戦中戦後の体験や裏話を語ってもらい、それについてディスカッションするような、「勉強会」に近い集いもあった。「勉強会」の代表的だったものが、東京・銀座の交詢社で隔月で開催されていた「交詢社ネービー会」と、関西で毎月開催されていた「関西ネイヴィクラブ」だ。それらの講演のほとんどが文字に起こされ残っているが、ここでは前回(靖国神社)に引き続き、8月にふさわしい話題を紹介したい。1985(昭和60)年8月12日に起きた、死者520人、未曽有の航空機事故となった日航ジャンボ機墜落事故。その墜落現場の村長・黒澤丈夫氏の講演録である。 日航機墜落事故対応に尽力した名村長 1985(昭和60)年8月12日、午後6時56分頃、乗員乗客52