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人類究極のナゾ、「言葉」とはなにか…日本の哲学者が出した「驚きの答え」(藤田正勝)
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人類究極のナゾ、「言葉」とはなにか…日本の哲学者が出した「驚きの答え」(藤田正勝)
明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは... 明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。そんな先人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。『日本哲学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。 ※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。 不可思議な「言葉」 一般に「言葉とは何か」ということを考えてみると、二通りの理解が成り立つように思われる。 第一に考えられるのは、言葉は、考えるための、あるいは考えたものを表現するための道具である、という理解である。つまり言葉は、あらかじめ存在している思考の内容──それは日本語とか英語といった具体的な言語、自然言語以前のものと言わざるをえないであろう──に形を与えるものであるという考えである。 それに対して、第二に、思考は言葉を通してはじめて成立するのであり、言葉は思考の単