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兄も弟も失った長崎原爆の被害者少年が、学校教師から「ゲンバク」と呼ばれるまで(中村 由一)
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兄も弟も失った長崎原爆の被害者少年が、学校教師から「ゲンバク」と呼ばれるまで(中村 由一)
僕はずっと自分の体験を口にすることができませんでした。なにより怖かったのは、差別です。被爆したこ... 僕はずっと自分の体験を口にすることができませんでした。なにより怖かったのは、差別です。被爆したことを人に話して、それが差別という形で自分に戻ってきたらどうしよう。そんな風に考えてしまっていたのです。 それは、僕が被爆者であることで、大変苦しい思いをしたからです。 僕は、小学校の先生や友達から、「ゲンバク」と呼ばれていじめられました。だから、被爆者であることを隠して生きることにしました。そして「ゲンバク」に加えて、もう一つの差別も受けていました。そのこともひた隠しにしていました。 しかし、長崎に原爆が落とされてから、70年以上の年月が流れました。僕も70代半ばになります。残された時間がそんなに多くないと気づいた時、僕の体験をみなさんに知ってもらいたいと思うようになりました。 長崎に原爆が落とされ、何が起こったのか? ふたつの差別は、どのようなものだったのか? 「ゲンバク」と呼ばれた僕が、どん