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【第5回】靖国神社「A級戦犯合祀」をめぐる暗闘(田原 総一朗) @gendai_biz
【第4回】はこちらをご覧ください。 合祀はなぜ強行されたか 筑波藤麿宮司に代わって第六代の靖国神社宮... 【第4回】はこちらをご覧ください。 合祀はなぜ強行されたか 筑波藤麿宮司に代わって第六代の靖国神社宮司に就任したのは、元海軍少佐で、戦後は陸上自衛隊に入り、一等陸佐として退官した後は、福井市立郷土歴史博物館長をつとめていた松平永芳であった。 松平は、幕末の福井藩主松平春獄の孫で、最後の宮内大臣を務めた松平慶民の長男にあたる。彼は少年時代の一年間、平泉澄の邸にあづけられ、それ以来、平泉を師として仰ぐようになった。 平泉は、いわゆる戦後体制、つまり日本の昭和の戦争が侵略戦争だったとする「東京裁判史観」の打破を訴えた人物で、実は筑波前宮司も平泉と浅からぬ関係にあったのだが、筑波はそれゆえに、戦前の体制を否定していて、松平とは対極にあった。 松平は、宮司退任直後の2002年、A級戦犯の合祀を決断した経緯を、次のように述べている。 「私は就任前から『すべて日本が悪い』という『東京裁判史観』を否定しな
2015/09/25 リンク