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日本が「都合のいい外国人」を求め続けてきた30年を振り返る(荻上 チキ,山口 元一) @gendai_biz
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日本が「都合のいい外国人」を求め続けてきた30年を振り返る(荻上 チキ,山口 元一) @gendai_biz
外国人と日本人が交流できない仕組み チキ 時間を少し遡りましょう。前述の通り、1990年代、入管法が改... 外国人と日本人が交流できない仕組み チキ 時間を少し遡りましょう。前述の通り、1990年代、入管法が改正され、ルーツ探しという名目の下ですが、結果として日系の外国人労働者を受け入れることになりました。そのときに日本社会にはどういった変化があったんでしょうか。 山口 日系人とその家族は、ルーツ探し、親族交流という名目で入ってきたので、日本政府は、定住化のための施策などをまったく用意しませんでした。言葉の通じない国に、10万人単位で労働者が入ってくるとなると、当然、仕事を探すことも、家を探すことも、ゴミ捨てなど日常のことだってキチンとできない。 そもそも、当局に在留資格を取得するための書類を提出することすら彼らは独力ではままならないわけです。そのギャップを埋める存在として人材派遣業者が大活躍した。それが日系人受け入れの初期の段階に起きたことですね。 チキ そうした派遣ビジネスのルーツの一つに、