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講談社五十年史から消された、戦争と「顧問団」(魚住 昭) @gendai_biz
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講談社五十年史から消された、戦争と「顧問団」(魚住 昭) @gendai_biz
ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、講談社創業者・野間清治の波乱の人生と、日本の... ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、講談社創業者・野間清治の波乱の人生と、日本の出版業界の黎明を描き出す大河連載「大衆は神である」。 多年の辛労と無理が清治の体を蝕んでいた。昭和13年10月16日、急性狭心症で逝去。講談社社員はその訃報を聞き茫然自失する。大病に侵されていた長男・恒も後を追うように息を引き取った。ひとつの時代が終わろうとしていた――。 第七章 紙の戦争──書かれざる部分(1) 「本当のところ」 『講談社の歩んだ五十年』の刊行から5ヵ月後の昭和35年(1960)3月、社史の制作に携わった5人が集まり、「社史編纂を顧みて」と題する座談会を開いた。 出席メンバーは、執筆責任者の木村毅(きむら・き。文芸評論家)、その補佐役をつとめた辻平一(『サンデー毎日』元編集長)、窪田稲雄(講談社社員)、白川栄子(慶応大学仏文科出身)、そして、足かけ7年がかりで資料の収集や取材に