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没後40年、向田邦子が再び注目を集めている「これだけの理由」(碓井 広義) @gendai_biz
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没後40年、向田邦子が再び注目を集めている「これだけの理由」(碓井 広義) @gendai_biz
「没後40年」の向田邦子 ドラマ『寺内貫太郎一家』や『阿修羅のごとく』などで知られる脚本家、向田邦子... 「没後40年」の向田邦子 ドラマ『寺内貫太郎一家』や『阿修羅のごとく』などで知られる脚本家、向田邦子。 脚本だけでなく、優れたエッセイストであり、直木賞作家でもあった彼女が亡くなったのは、昭和56年(1981)8月22日だ。旅行先の台湾で遭遇した航空機事故だった。 今年は「没後40年」にあたるが、今も彼女が書いたドラマはアーカイブなどで視聴され、脚本や小説なども読み継がれている。 また現在、東京・青山のスパイラルホールでは、向田邦子没後40年特別イベント「いま、風が吹いている」が開催されており(1月24日まで)、あらためて注目が集まっている。 ここでは「脚本家としての向田邦子」に焦点を合わせ、その軌跡を振り返ってみたい。 「昭和の娘」向田邦子 向田邦子は昭和4年(1929)11月に東京の世田谷で生まれた。7歳だった昭和12年(1937)に日中戦争がはじまり、12歳で太平洋戦争が勃発する。昭