エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
日朝関係改善の糸口「日本人妻の里帰り事業」が再開されない根本的な原因(伊藤 孝司) @gendai_biz
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
日朝関係改善の糸口「日本人妻の里帰り事業」が再開されない根本的な原因(伊藤 孝司) @gendai_biz
【前編『62年前に始まった北朝鮮への在日朝鮮人「帰国事業」とは何だったのか』から続く】 受入時の北朝... 【前編『62年前に始まった北朝鮮への在日朝鮮人「帰国事業」とは何だったのか』から続く】 受入時の北朝鮮の状況 1959年から始まった北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)への帰国事業は1984年7月の第187次船まで続いたが、帰国者の80パーセントにあたる7万4779人は1961年末までの約2年間に渡航。帰国船は月に3~4回も清津(チョンジン)へ入港し、最盛期には毎週1000人規模の人が到着した。 帰国者たちは歓迎行事の後に、数日間を清津や咸興(ハムン)に滞在し、履歴書や職業・居住地の希望を提出。面接を受けて、行き先が決まった。だが受け入れ側が、押し寄せるようにやって来る人々への対応が追いつかない状態に陥っていたため、自分の希望と異なる地域や職場・学校へ配置される人たちが出たのである。 そもそも帰国者の多くが低所得者で、半数以上は財産をほとんど持たずに北朝鮮へ渡った。北朝鮮は帰国希望者を、審査や