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思考を「知識の収集」と誤解していた私に突き刺さった、哲学者の教え(山野 弘樹)
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思考を「知識の収集」と誤解していた私に突き刺さった、哲学者の教え(山野 弘樹)
『読書について』との出会い そんな大学2年生の夏休みが終わると、「自分は馬鹿になってしまった」とい... 『読書について』との出会い そんな大学2年生の夏休みが終わると、「自分は馬鹿になってしまった」という思いを抱えながら、再び大学のキャンパスに通う日々が始まりました。あるとき、上智大学の図書館の地下1階に立ち寄ると、いつもあまり見ないコーナーのある本の背表紙が、とても浮かび上がって見えました。 その本のタイトルは『読書について』というものでした。ドイツの哲学者アルトゥール・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer, 1788-1860)が書いた『パレルガ・ウント・パラリポメナ(付録と補遺)』という論集の中から、三つの論文がセレクトされて訳出された書籍です。 ちょうど、本の読み方について深い反省の念を抱いていた頃合いでしたので、その本との出会いは、半ば運命的なもののように感じました。私は『読書について』を手に取り、1階の貸し出しコーナーで借り、そして丸ノ内線の電車内で読み始め