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犬鳴峠で起きたリンチ放火殺人事件の真相とは… - 事件の怖い話
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犬鳴峠で起きたリンチ放火殺人事件の真相とは… - 事件の怖い話
昭和63年12月7日 被害者A(当時20歳)は地元のT高校卒業後、 スチール製工場へ就職。 十万円... 昭和63年12月7日 被害者A(当時20歳)は地元のT高校卒業後、 スチール製工場へ就職。 十万円の給料のうち7万円を母親に渡すほどの孝行息子で内気でおとなしい青年だった。 7日の夕方、仕事から帰宅途中で信号待ちをしていたところ(青信号だったら彼は死なずに済んだ) 主犯の少年(19歳)ら5人に「女を送るのに格好つかんたい。車貸せ」と言われた。 それを断ったところ、袋叩きにされ連行の上、暴行を受ける。 深夜2時、見張り役少年が寝込んだすきに監禁場所を抜け出し、家に向かって2キロも歩き続ける。 (周りに家や通りがかった車に助けは求めなかった) しかし再び路上で拉致される。 犯人達は苅田港に蹴り落とそうするが岸壁のフェンスにしがみつき「助けてくれ」と泣き叫ぶ彼の手にバールを・・・ 打ち下ろす。 顔は変形しフェンスをつかんだ手から血が流れる。 やがて彼はぐったりし声も出さなくなったが打たれても打た