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「知のデパート」梅棹忠夫、週一で開いた学生とのサロン 今、同じ「場」は作れるか :朝日新聞GLOBE+
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「知のデパート」梅棹忠夫、週一で開いた学生とのサロン 今、同じ「場」は作れるか :朝日新聞GLOBE+
学生たちのたまり場だった旧梅棹邸。次男で陶芸家のマヤオさんは「くつろいで展示を含めた空間を楽しん... 学生たちのたまり場だった旧梅棹邸。次男で陶芸家のマヤオさんは「くつろいで展示を含めた空間を楽しんでほしい」という=京都市左京区、楠本涼撮影 ■京大探検部長との対談を機に 梅棹氏の業績について改めて考えたきっかけは、生誕100年記念事業実行委員会事務局から依頼を受け、1月24日にオンライン講座に登壇したことであった。立命館大学探検部OBの私は現在、同部の顧問を引き受けており、オンライン講座では、京都大学探検部OBで同部部長の重田眞義・京大教授と「大学探検部・山岳部の未来を考える」をテーマに対談した。対談を前に博物館の特別展に足を運び、学生時代に読んだ『文明の生態史観』を久々に読み直し、梅棹氏にまつわるいくつかの資料に目を通した。 1956年版『経済白書』に「もはや戦後ではない」という有名な一文が記された。その年の3月2日、京大探検部は日本最古の大学探検部として発足し、梅棹氏は初代顧問の1人に