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橋下市長と袂を分かち自民党の右上をゆく!保守政党・次世代の党の歴史
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橋下市長と袂を分かち自民党の右上をゆく!保守政党・次世代の党の歴史
結党から1年を迎え、中山恭子新党首のもと、新たな時代へと舵を切った「次世代の党」。結党前から、今... 結党から1年を迎え、中山恭子新党首のもと、新たな時代へと舵を切った「次世代の党」。結党前から、今日までの流れを振り返ってみたいと思います。 「たちあがれ日本」から「日本維新の会」への合流と決裂 次世代の党に至る系譜は、2010年4月に結党の「たちあがれ日本」にまで遡ります。次世代の党初代党首である平沼赳夫氏が代表となり、新党首となる中山恭子参議院議員も合流。国会議員5人でスタートした「たちあがれ日本」は、12年11月、新党結成を模索していた石原慎太郎氏を共同代表に迎え、党名を「太陽の党」に改称。 その後、橋下徹氏が代表を務める「日本維新の会」に合流し、13年1月に、石原・橋下氏の共同代表という形をとりました。2人は、「親子のような関係」と言われ注目を集めましたが、14年春、当時大阪都構想に関わる統一地方選挙戦に向けて、野党再編を急ぐ橋下氏が「結いの党」との合併に向けて準備を進めるのに対し、