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「母が、弟が死んでも涙がでなかった」 長崎原爆で家族全員を失った被爆者の告白、自らも覚悟した被爆死(原佑介記者) | IWJ Independent Web Journal
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特集 戦争の代償と歴史認識 ※全編映像は会員登録すると御覧いただけます。 サポート会員の方は無期限で... 特集 戦争の代償と歴史認識 ※全編映像は会員登録すると御覧いただけます。 サポート会員の方は無期限で、一般会員の方は、21/10/9までの 2ヶ月間以内に限り御覧いただけます。 → ご登録はこちらから 広島、長崎に人類史上初の原爆が投下されてから69年が経った。 被爆者の今年の平均年齢は79歳を上回った。戦争体験や被爆体験を語り継ぐ世代が少なくなると同時に、戦争や原爆に対する国民の理解がいよいよ薄まってきている。そんな中、7月には集団的自衛権の行使を容認する閣議決定がなされ、再び日本は戦争への道を歩もうとしている、と懸念する声も少なくない。 IWJは広島、長崎の平和記念式典を取材するとともに、戦争、原爆体験者の生の声をすくい上げ、語り継ぐべく、8月9日、長崎原爆被災者協議会で事務局長を務める被爆者の山田拓民さんに話をうかがった。 原爆投下の瞬間 山田さんは長崎市鳴滝にあった県立・長崎中学校