エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント2件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
フゴッペ洞窟 - Wikipedia
1950年(昭和25年)、札幌市から小樽市蘭島へ海水浴に来たS・O(当時は札幌市内の公立中学校3年生)が、... 1950年(昭和25年)、札幌市から小樽市蘭島へ海水浴に来たS・O(当時は札幌市内の公立中学校3年生)が、西に1.5キロメートル離れた丸山に足を延ばして洞窟を発見した。 北海道札幌南高等学校(南高)郷土研究部に属していた兄のI・Oから、丸山に「畚部古代文字」の遺跡があると聞いていたためである[1]。 弟から連絡を受けた兄も現地を確認した。農家が斜面から畑用の土を採ったところ、洞窟が現れたと伝わる。O兄弟は郷土研究部顧問の島田善三に知らせ、南高が発掘に乗り出し、同年暮れまでに土器などを見つけた。フゴッペ洞窟を有名にした岩面刻画は、後で入った別のチームが発見した。先行かつ正式な手続きを踏んだ南高に対して、鳶があぶらあげをさらうようなもの(『北海タイムス』)といった批判が起き、論争となった。正式な発掘調査は、島田から相談された北海道大学助教授の名取武光を団長とする調査団が1951年(昭和26年)
2016/10/09 リンク