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井筒部屋 - Wikipedia
井筒部屋(いづつべや)は、かつて存在した日本相撲協会所属の相撲部屋。本項では14代(鶴ヶ嶺)が運営... 井筒部屋(いづつべや)は、かつて存在した日本相撲協会所属の相撲部屋。本項では14代(鶴ヶ嶺)が運営していた君ヶ浜部屋についても記す。 歴史[編集] 創設から高砂一門時代[編集] 歴史上最初に確認できる井筒部屋は、1884年(明治17年)に引退した6代井筒の幕内・井筒菊治郎が興した。6代井筒は二枚鑑札で井筒部屋を運営していたが、1887年(明治20年)に死去して部屋は閉鎖された。 その後、明治後期に第16代横綱・初代西ノ海嘉治郎(薩摩国高城郡出身)が8代井筒を襲名して高砂部屋から分家独立し、現在までの流れの源となる井筒部屋を創設した[1]。 8代は第25代横綱・2代西ノ海嘉治郎を初めとして、駒ヶ嶽、大江山松太郎の2大関や関脇・逆鉾与治郎(鹿児島県出身)を育て上げた。鹿児島出身だったことから、同県出身の若者の多くがその後も井筒部屋の門を叩いている[1]。 なお、6代と8代の間に師弟関係はない。