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対馬銀山 - Wikipedia
銀山神社(長崎県対馬市厳原町樫根) 対馬銀山(つしまぎんざん)は、長崎県対馬市厳原町の樫根地区付近... 銀山神社(長崎県対馬市厳原町樫根) 対馬銀山(つしまぎんざん)は、長崎県対馬市厳原町の樫根地区付近にあった日本最古の銀山遺跡。 『日本書紀』によると、天武天皇二年(674年)に対馬島司忍海造大国(おしみのみやつこのおおくに)が同国で産出した銀(しろがね)を朝廷に献上したとされる。さらに朝廷は対馬島司に命じて金鉱を開発させ、文武天皇五年(701年)に対馬から金が献上された。この結果、朝廷は元号「大宝」を定めた[1]。しかしこの金の献上については『続日本紀』では、対馬現地の開発者が捏造工作をおこなったものであり、実際には対馬から金は出なかったとしている。平安時代になると『延喜式』で対馬の調は銀と定められ、大宰府に毎年調銀890両を納めるよう命じられた[2]。 精錬法は広義の灰吹法とよばれるもので、唯一のまとまった記録である大江匡房の『対馬貢銀記』[3]によれば、 高山四面に風を受くるの処に置き