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盲暦 - Wikipedia
盲暦(めくらごよみ)は、江戸時代に和暦の月の大小や暦注などを文盲者にも理解出来るように絵や記号等... 盲暦(めくらごよみ)は、江戸時代に和暦の月の大小や暦注などを文盲者にも理解出来るように絵や記号等で工夫して表現した暦である。南部藩の南部盲暦が有名。「座頭暦」ともいう。 近年では視覚障害者に対する配慮から「絵暦」(えごよみ)と表記する場合もある。 和暦は太陰太陽暦であるため閏月が追加される年や月齢の約29.3日を調整するため毎年30日の大の月、29日の小の月の該当月が異なっており、それを知る必要があった。 歴史[編集] 正徳年間(1711年-1716年)に、南部藩の田山村(現八幡平市田山)の庄屋の書き役を務めていた八幡善八(源右衛門)が、村人の疲弊を救い、産業の振興を図ろうと一念発起して独創されたのが盲暦である。病気で倒れ発狂したりする村人のために作られたのがめくら般若心経(絵心経)であり、めくら帳であり、めくら証文であった。当初は田山村内だけに配布されていたが、評判は他町村に伝わり、鹿角