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長屋王の子孫・春枝王に見る、平安時代における皇親の政治的役割と没落 平安貴族列伝(49) | JBpress (ジェイビープレス)
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(歴史学者・倉本 一宏) 四十六歳で従五位下に叙される 皇親をとりあげるのは、はじめてである。『日本... (歴史学者・倉本 一宏) 四十六歳で従五位下に叙される 皇親をとりあげるのは、はじめてである。『日本文徳天皇実録』巻八の斉衡(さいこう)三年(八五六)九月癸丑条(十三日)は、春枝(はるえ)王の卒伝を載せている。 散位従五位上春枝王が卒去した。春枝王は、四世従五位下仲嗣(なかつぐ)王の第八男である。人となりは謙退で、篤く仏道を崇んだ。若くして嵯峨(さが)太上天皇に仕え、承和(じょうわ)の初年に越後介となった。すこぶる政績が有った。承和十年正月に従五位下に叙された。時に嵯峨太上天皇が崩御した諒闇に当たっていたが、特に治国の者を選んで、春枝はこの選叙に預かった。すぐに能登守となった。あの国は長年、荒廃して、百姓は煩わしいほど騒いでいた。春枝は任国に到り、三年に及ぶ頃、国はようやく復興し、民は安心していられた。上請して定額寺の大興寺を国分金光明寺とした。夏安居の講は、みずから参加して勤修した。梵唄