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明治44年赤城山大沼湖畔で河合栄治郎と語る真山青果ーー青田寿美先生の追悼にーー - 神保町系オタオタ日記
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国文学研究資料館の『調査研究報告』43号が公開され、昭和5年の真山青果日記が読めるようになりました*1... 国文学研究資料館の『調査研究報告』43号が公開され、昭和5年の真山青果日記が読めるようになりました*1。昭和3年・4年分の翻刻については、「「[翻刻]青果日記(昭和三年・昭和四年)」(国文学研究資料館)への補足ーー眞山青果とプラトン社・博文館・春陽堂の編輯者指方龍二ーー - 神保町系オタオタ日記」で紹介したところである。今回の翻刻を手がけた青木稔弥・内田宗一・高野純子・寺田詩麻各先生、お疲れ様でした。ここに本来であれば、青田寿美先生の名前も入るはずであった。しかし、「後記」にあるように中心メンバーでもあった青田先生は1月5日に逝去された。「後記」を目にして少し泣いてしまった。 青果について、最近読んだ松井慎一郎編『赤城山日記:河合榮治郎若き日の日記』(桜美林大学北東アジア総合研究所、平成25年3月)から引用しておこう。河合は、第一高等学校を卒業して、東京帝国大学法科大学に入学する直前の時期