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20 「どうしようもなさ」の哲学――『鶴見俊輔伝』を読む2 | 最後の読書 | 津野海太郎 | 連載 | 考える人 | 新潮社
――1985年、私学会館での黒川創の出版祝いの場で、「あの本(梅棹批判文をふくむ私の評論集)は思想の科... ――1985年、私学会館での黒川創の出版祝いの場で、「あの本(梅棹批判文をふくむ私の評論集)は思想の科学社からはだせません」と鶴見俊輔さんに大声で宣告された。 そう前号で書いたら、「それはまちがいかもしれない」というメールが黒川さんからとどいた。あのできごとがあったのは1988年だから、ぼくの会ではなく、翌89年に国際文化会館でひらかれた室(むろ)謙二の再婚祝いの席だったのではないかというのだ。 ――まさか。それに室さんの会は上野の精養軒だったはずだぜ。 そこで念のためバークレイに住む室謙二に問い合わせると、精養軒じゃないね、国際文化会館だよと返事がきた。あれ、ちがうの? すると、いまもありありと思い浮かべることができる、あの私学会館ホールにおける鶴見さんの突進というおそるべき光景も、私の「回想の次元」にでっちあげられたニセの記憶ということになるのか。 まいったね。 でもまァ、会場はともあ
2019/03/06 リンク