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米国の施政権下にあった1950年代の沖縄の様子がわかるカラー映像
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米国の施政権下にあった1950年代の沖縄の様子がわかるカラー映像
第二次世界大戦後、アメリカは沖縄の戦略的位置を重視し長期支配への基盤を固めることなった。1949(昭... 第二次世界大戦後、アメリカは沖縄の戦略的位置を重視し長期支配への基盤を固めることなった。1949(昭和24)年には、沖縄の長期支配にむけての経済復興と民主的な政治の実施、軍事施設の整理統合、基地の恒久化などがはかられ、沖縄住民には自治権の一部が認められたものの、実権は相変わらず軍司令部にあった。 ソース:ず’s ≫ 1950年代の那覇の街の様子をカラー撮影した動画がYouTube 1951(昭和26)年、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が締結され、日本は独立したものの、沖縄は引き続き米国の施政権下におかれることとなった。これにより日本は西側の一員となり、沖縄はソ連・中国・北朝鮮に対する防共の砦となったわけだが、そんな激動の沖縄那覇市の1950年代の町の様子のわかる映像がYOUTUBEに公開されていた。