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東浩紀氏により「ゲーム的リアリズム」講演における備忘録2 - BearLog PART2
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東浩紀氏により「ゲーム的リアリズム」講演における備忘録2 - BearLog PART2
だいぶ遅くなったが、前回エントリの続きであり、第二回の分(7月20日)、である。くどいようだが、あ... だいぶ遅くなったが、前回エントリの続きであり、第二回の分(7月20日)、である。くどいようだが、あくまでも私の備忘録として書かれているために、講演の内容と食い違うところがあったり、私自身の考察がまざっていたりしており、正確に講演を再現しようとしているものではない、ということを敢えて強調させて頂く。 ハイデガーのこと、デリダのこと 前回の講演のところからの続きで「偶然性」「必然性」というところをざざっとおさらいし、Nationalismが「偶然『生』を受けたことを必然に変えてしまう装置」だという言及があってから、ハイデガーやデリダの話になった。 人間の生とは、『死」というものへ確実に到達する過程であるということ。すなわち、英語で言うと、destination(宛先、行き先)=destiny(運命)、人生とは自らの生を「死」へと確実に届けるものである。これ、すなわち「郵便」というものに近いので