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「三条京阪」地上に駅があったころのお話 | Kyoto love Kyoto. 伝えたい京都、知りたい京都。
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「三条京阪」地上に駅があったころのお話 | Kyoto love Kyoto. 伝えたい京都、知りたい京都。
七条京阪、五条京阪、四条京阪そして三条京阪。京阪電車がそれぞれ東西の大きな通りと交差するところの... 七条京阪、五条京阪、四条京阪そして三条京阪。京阪電車がそれぞれ東西の大きな通りと交差するところの地名ですが、これだけ整然と並ぶのは他所にはないのではないでしょうか。もっとも昭和62(1987)年に京阪が地下化され、川端通が整備されると七条川端、五条川端、四条川端というのが見た目の地名なのでしょうね。 その中で三条京阪だけは別格のような気がします。 京津線も地下鉄東西線と姿を変えて地下化され、地上から電車の姿が見えなくなっても三条大橋の東側は駅を含めて周辺一帯が三条京阪なのです。そこで今回は三条京阪に関してつれづれなるままに書いてみました。 三条大橋の東一帯を三条京阪と呼ぶのは文字通り京阪電車がやってきたからですが、京阪本線が三条までやってきたのは大正4年(1915)年10月です。それよりも大津に向かう京津電車が大正元年8月に三条大橋東詰めから発着をするようになる方が早いのです。もっとも開業