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あれこれ理由はなくても何かを好きと言えることはいいんじゃないか - Letter from Kyoto
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あれこれ理由はなくても何かを好きと言えることはいいんじゃないか - Letter from Kyoto
昨今のオタク憧れって、ここに尽きるのかな。何かに夢中になっている姿が羨ましいとかかっこいいとか。... 昨今のオタク憧れって、ここに尽きるのかな。何かに夢中になっている姿が羨ましいとかかっこいいとか。それはオタクみたいにめちゃくちゃ時間を費やしていたり金を落としていたり詳しかったりする必要はなくて、ただ「あれが好き」「これが好き」と言えることそのものが、なんというか人生を有意義に過ごしていることになるんじゃないか。 知識マウントとか誰かとの比較とか、あまり意味がないと思う。目的を見失っている。別に、好きだったらそれでいいんじゃないか。方向や歩み方は多様で、ある種みんな仲間だろう。 オタク趣味なんて、かつては好きと表明できるかどうかの葛藤があった。例えばマンガ・アニメ・ゲームを好きと公言すると、白い目で見られる時代があった。それが今や、打ち込んでいたり詳しい対象があること、専門分野みたいなのがあること自体が憧れの眼差しを受けている。オタク憧れが嵩じて、オタクのふりをする人まで現れる始末。 自分