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SUNDAY LIBRARY:岡崎 武志・評『高田渡と父・豊の「生活の柄」』『歌が街を照らした時代』 | 毎日新聞
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SUNDAY LIBRARY:岡崎 武志・評『高田渡と父・豊の「生活の柄」』『歌が街を照らした時代』 | 毎日新聞
◆『高田渡と父・豊の「生活の柄」[増補改訂版]』本間健彦・著(社会評論社/税抜き2000円) 「歩... ◆『高田渡と父・豊の「生活の柄」[増補改訂版]』本間健彦・著(社会評論社/税抜き2000円) 「歩き疲れては(略)草に埋もれては寝たのです/所かまわず寝たのです」は、山之口貘(ばく)「生活の柄」を曲にした高田渡の代表作。2005年に56歳で没したフォークシンガーは、ずっと同じ姿勢で歌い続け、その存在感は不変である。 本間健彦『高田渡と父・豊の「生活の柄」[増補改訂版]』は、高田渡の反骨と詩の精神が、多く父の豊から受け継いだことを証明する。いくつも恋をし、生活に破れ、一冊の詩集を残して逝った父親。著者は、相似形として昭和を生きた2人の生涯を追う。 岐阜の資産家の家に生まれながら、貧民救済の収容施設に転がり込むまで落ちた高田一家。しかし、このダメな父親は、どこか夢見がちで子どもっぽい。4人の男の子も、悲惨な目に遭いながら、許し、離れずくっついて行く。 誰とも似ていない、類い稀(まれ)なる歌を作